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『 Jiko和尚の語り 法話4 』

メールが寄せられました。
皆さんと一緒に、静かに口ずさんでみたく思います。


『昨年の紅白歌合戦でDJ OZUMAが一波乱あったのと引き換えに、漁夫の利を得たのが、クラシックのテノール歌手・秋川雅史です。
「千の風になって」と言う歌がオリジナルコンテンツで1位に成ります。クラシックでオリコンNo.1は今までに在りません。この歌は、昨年放映された映画の主題歌ですが、改めて、歌詞を見て感銘しましたのでお送り致します次第です。
百の説経より、魂に訴える力が感じ取れるのです。
近年のヒット曲は、歌を聞いただけでは歌詞を理解しにくい楽曲が多いのですが。それでも歌詞を理解して買っていく人が多い事も事実です。人を癒すのに言葉に勝るものは無いと思います。
 
以下、「千の風になって」の歌詞
 
 私のお墓の前で泣かないでください
 そこに私はいません 眠ってなんかいません
 千の風に
 千の風になって
 あの大きな空を
 吹きわたっています
 秋には光になって 畑にふりそそぐ
 冬はダイヤのように きらめく雪になる
 朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
 夜は星になって あなたを見守る
 私のお墓の前で 泣かないでください
 そこに私はいません 死んでなんかいません
 千の風に
 千の風になって
 あの大きな空を
 吹きわたっています
 千の風に
 千の風になって
 あの大きな空を
 吹きわたっています
 あの大きな空を
 吹きわたっています
 
この楽曲の誕生は芥川賞作家として知られる新井満が、知人の死を契機に「千の風になって」の原詩で作者不詳の「A THOUSAND WINDS」に出会ったことから始まりました。この詩に自身が日本語詞と曲をつけ歌唱した楽曲を、01年に私家版CDとして30枚作成、友人などに送ったものです。
 
「千の風になって」は、いかにして生まれたのでしょうか?
 
" 私のふるさとは新潟市です。この町で弁護士をしている川上耕君は、私のおさななじみです。彼の家には奥さんの桂子さんと三人の子供たちがいて、とても明るく幸せな家庭生活を営んでいました。
ところがある日、桂子さんはガンにかかり、あっという間に亡くなってしまいました。
後に残された川上君と子供たち三人の驚きと悲しみは尋常ではありません。絶望のどん底に蹴落とされたのも同然です。なぐさめの言葉を言う以外、私にできることはありませんでした。
しかし、そんなものが何の役に立つはずもありません。
桂子さんは、地域に足をつけた地道な社会貢献活動を行う人でもありました。
たくさんの仲間たちが協力して追悼文集を出す事になりました。
「千の風になって−川上桂子さんに寄せて−」という文集です

文集の中で、ある人が「千の風」の翻訳詩を紹介していました。私は一読して心底から感動しました。
<よし、これを歌にしてみよう。そうすれば、川上君や子供たちや、あとに残された多くの仲間たちの心を、ほんの少しくらいは癒す事ができるのではなかろうか・・・・>そう思ったのです。
何ヶ月もかけて原詩となる英語詩を探し出しました。それを翻訳して私流の日本語訳詩を作りました。それに曲をつけて歌唱したのが、この度の「千の風になって」という歌です。
私家版のCDを数枚だけプレスし、そのうちの一枚を川上君のところに送りました。
CDは桂子さんを偲ぶ会で披露されました。集まった人々は一様に涙を禁じ得なかったそうです。そして泣きながらこの歌を歌ってくれたのだそうです "』

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